でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

母を連れて散歩

今日午前、母を連れて近くの神社と公園まで散歩しました。

母は車椅子に乗せて連れて行きます。歩いて5分もかからない神社と、その横にある公園です。

公園では車椅子から降りて立ち、少し歩いてベンチに座りました。その後、隣にあるブランコに座りたい、と言うので座らせました。ゆらゆらするブランコは、座ると気持ちがよいようです。もちろん、全くこいだりはせず、座っているだけですが。

自分も隣のブランコに座って公園を見ると、小さい子供を連れた家族が二組ほどいます。今時の家族は必ずお父さんも一緒に、子どもたちと遊んでいます。砂場で遊ばせたり、ボールを使ったり、滑り台で楽しんでいます。

こちらでは母と私がブランコに乗っているのですが、若い家族連れと比べると、その対比が面白いです。あちらは親が子供の面倒を見て、こちらは子供が親の面倒を見ています。

もうすっかり記憶にはありませんが、母はあの子連れ家族のように、子供の頃の私を面倒を見てくれていたのだろうと思うと感慨深いものがあります。高齢になり認知機能が低下することを「二度童子」と昔は言いましたが、まさに、母が子供に返り、子供の私に面倒を見てもらっている状態なのだなぁ、と思います。

何ら特別なことでもなく、長寿社会の今は当たり前に起きること、なのですね。

とはいえ、レビー小体型認知症の母は幻視・幻聴があります。このところ幻視の見え方が変わってきて、見えるというよりは「すぐ近くに感じる」ことが多いようです。その気配は「すぐ近くにずっといる女」と「近づいたり離れたりする女」と「時々出てくる男」が主になってきました。

それと幻聴が重なり、自分のしゃべったことが「自分」だったり「その女」がしゃべったように感じたりするようで、「なんであんたがしゃべっとるの?!」「だまれ!うるさい!出て行け!」などとしょっちゅう怒っています。

この日も公園で怒っていました。

実は、散歩に来たのは、「家で内緒で話をしたいのに、そいつら(幻覚で感じる幻人?少し前は「影武者」「背後霊」などと言っていました)がずっといるから話せない」という理由もあります。しかし、散歩に出かけてもずっとついてくるから、結局何も話せなかった、と怒っていました。

まあ、母が私に話したい「内緒話」というのは、大体わかっています。もう何回も聞いていることだろうし、すでにあれこれ手を打っていたり済ませていることです。

聞いても聞かなくてもどうでもよいので、散歩で母の気がすめばよかったのですけれどね。予想通り、どこまでも幻覚がついてきて、内緒話は出来ないままで終わってしまいました。