でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

母を連れて、ゆかりの地をめぐる

ゴールデンウィーク。天気も良いので、母が出かけたい、と言ってきました。自分の実家近くのあちこちに行きたい、と言い出したので、行ってきました。

まずは、母の父、私の祖父が作詞した漢詩の石碑を見に行って来ました。私の母方の祖父は地理の教師でしたが、漢詩や詩吟も行う人でした。由来はまだはっきりとは知りませんが、その祖父が作詞した漢詩を、昔赴任した縁で、伊勢神宮宮司の人が筆で書き下ろしたのを石碑にしたものが、岐阜県神戸町日吉神社にあります。それを見に行きました。

その石碑は以前母と一緒に見に行ったことがあります。実際に行ったら、「あ、これだ」とすぐ分かりました。とはいえ母に「以前見に来たよね」と行ってもすっかり忘れてしまっていました。せっかくなので写真をいっぱい撮っておきました。以前行ったときは、その内容や裏に書かれた縁起などをしっかり読まなかったので、今度は読んでみようと思います。

その後、「広神戸駅に寄りたい」と言い出しました。母が高校生・社会人時代に実家から歩いて行き、当時の近鉄揖斐線に乗って(今は養老鉄道の駅)通った駅です。車から眺めただけですが、母は夏が滋賀っていました。

その次には、実家に寄りたい、ということで行きました。実家はまだありますが、母の義姉も甥も住んでいません。話では甥の妻が維持管理でよく出入りしている、とのことでしたので、もしかしたらいるかも、と、特にアポ無しで向かいました。

残念ながら誰もいませんでした。駐車場に一つ空きがあったので我が家の車を止めたのですが、おそらく、そこには普段何か停まっていて、それに乗って甥の奥さんは出かけているのでしょう。

勝手に庭を見たり周りを見たりしましたが、母の暮らしていた頃とは建物が全く違っています。しかし、母にとっては、そんなことはどうでも良く、自分が暮らした実家だ、と言うことの方が大切そうです。

その後は、近くに出来た、パレットピア大野の道の駅に行ったり、近くに出来つつある巨大なイビデン工場や、大きな病院、そしてインターチェンジにつながる東海環状道の工事を横目で眺めながらドライブしてきました。

このあたりは東海環状道の進出とそれに伴う工場や病院の建設が、地殻変動をもたらしています。工場が出来れば、新興住宅が出来て、たぶん数十年ぶりで「新住民」が生まれるかもしれないような大きな変化が起きそうです。

子供心にも「田んぼしかない田舎だなぁ」と思っていた母の実家は、その後50年、人が出て行くばかりの田舎でしたが、新たな住民が生まれて、車がバンバン通るようになり、家に鍵を掛けなければならなくなるような、都市郊外になるかもしれません。

ところで、母と一緒に同じ行程を回ることは、2012年に行っていました。祖父の石碑を見て、広神戸駅も回ってきました。

assoman.hatenablog.com

母はそのときのことをすっかり忘れていたようです。

うーん、今後、今日行ったこともすっかり忘れてしまい、「父の石碑を見に行きたい」とか、そのうち何度も何度も言い出すかもしれません。過去の訪問と、今日の訪問を合わせて印刷しておいて、「行きたい」と行ったら写真を見せながら「ほらごらん。以前行ったでしょう。また行くのかね?」と言えるようにしておいたほうが良いかもしれません。