でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

これだけは手書きだなぁ。

姉が障害者施設に入っています。なかなか面会にも行けませんが、電話があったとか、施設の人から連絡があったとか、福祉施策で行政に相談に行ったとか、そんなことを記録に残しています。

その記録は手書きのノートに残しています。大学ノートのページ真ん中に縦に線を引き、左の欄から書いて次に右に移り、次のページの左右、その次のページ、と手書きしています。

自分が保護者でもあるので、記録は残しておきたいな、と思い書いているのですが、今時仕事では手書きはほぼないし、家の出来事や記録もデジタルです。日記だってここに書いているぐらいですからタイピングで入力しています。もちろん手書きよりもタイピングした方が圧倒的に早いです。

でも、その記録だけはなぜか手書きなのですよね。何なのでしょう?

一つは、自分の母が(まだ存命ですが)、何事につけそのような記録をつけていたことがあります。日記もそうですが、冠婚葬祭のことや、義父母の介護のことや、旅行の記録などをそのような形でずっとつけています。

「閲覧性」という意味では、手書きのノートの閲覧性はデジタル時代になっても勝っているように思います。手書きのため単語を増やしすぎず、一文一文が短いとか、体裁を変えずに後から追記しやすいとかあるようです。タイピングよりしっかり記憶に残りやすい、という気もしますが、自分が中年後期にさしかかっているからかもしれません。

単に「紙だから見やすい」というのは当てはまりません。デジタルな文書を紙に印刷したからと言って読みやすくなる気はしません。やはり体裁と、書いたときの記憶がしっかり刻み込まれているからでしょう。

一方、検索は当然出来ませんし、他の人が読んだら他人のデジタル文章よりわかりにくいかもしれません。ただ、自分が見るにしても、重要なところには赤線を引いておくとか、箇条書きを有効に使う、などの工夫は必要です。

あともう一つ気がつきました。「いつまでもここにすべて入っている」という安心感を得たいからかもしれません。

デジタル時代になり、何でも長期間、腐ったりかびたり虫に食われたりせず残るようになっているはずです。でも実際のところ、どうなのでしょう?5年前、10年前のブログは残っていますか? 過去のブックマークは今アクセス出来ますか? DVDやBDは読み取り不能になっていませんか? クラウドのバックアップサービスは2~3年で乗り換えを迫られませんか?

SNSには古い情報も残っていますし、EXCELやWordは全文検索も出来ます。でも、検索以外に見たい情報にたどり着く方法ってありますか?

もちろん、頑張ればどれも出来るかもしれません。でも、それに比べればノートへの記載は書くときは面倒ですが、書いてしまえば目の前のそこにある、と言う安心感があります。

最も火事になれば燃えますが (^^; それもあってデジタルデータのクラウドバックアップも使っています。

ノートもそのうちスキャンしてデジタルデータにしますか?汚い文字でもAIがOCRしてくれたらすごいかもしれません。でも、IDとパスワードを忘れたり記録した紙や媒体を忘れたら?

んー、なんかすごい心配性だなぁ。だから手書きしたくなるのかな?でも火事で燃えたら・・・、思考がグルグル回ってしましました。