でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

東京の基準を当てはめられてもなぁ。

今日はいっぱい歩きました。

午後、休みを取り補聴器を正式に購入しに行ったのですが、そこに行く間やその後も含め、ずるずるずるずるいっぱい歩きました。

大通りを歩かず、脇道や市道を歩いていると、人に会うことはほとんどありません。たまにあっても数メートル先をすれ違うとかぐらいです。

公園も通りますが、誰もいません。平日夕方だからかもしれませんが、普段からこれくらいなのではないでしょうか?

それでも、ちょっと大きい公園には、コロナのために公園閉鎖、という看板が掛かっています。それを見てみんなが自重しているのでしょうか?

普段を知らないので外れているのかもしれませんが、自粛要請がなくてもこれくらいなのではなかろうか?まあもう少しは多いかもしれないが、とても「三密」になるような状況ではないと思います。

歩いていて人とすれ違ったり追い抜いたりするのも、数分に一回あるかないか。しかも簡単によけられます。これも、緊急事態ではなく「普段からそう」としか思えません。

ニュースだと関東方面では、ジョギングしている人が結構いて、ずっと人に会っているように見えます。しかし、それは東京だからじゃない? 東京だから、みんなが散歩しても道に人が多く現れ、公園に行くと人がいっぱいいるのでは?

岐阜では、普段通りとしてもそんなに人がいることがなさそうです。

もちろん、三密によるクラスターは岐阜でも発生しているので、そういう状況が出来れば広まってしまうには違いありません。

しかし、正直なところ、「新宿駅近辺で人が85%減」と「岐阜駅近辺で人が50%減」を人数で比較したら、新宿駅近辺の方が人が多いのでは?それどころか、普段の岐阜駅よりも多いのではないかと思います。

まあ、面積なども含めて比較しないとちゃんとした比較にはならないかと思いますが。

どうも東京や名古屋などの人がやたら多いところを基準に、公園を閉鎖しろとか、ジョギング中もマスクをしろとか、80%以上人を減らせ、と言われているような気がします。

確かに、過去東京に行ったときに、平日昼間にもかかわらず住宅地で人が道路にいっぱいいてびっくりしたことがあります。びっくりするのは「岐阜ではあり得ない」からです。

コロナ対策で三密を避けるために、東京の基準を当てはめられてもなあ。岐阜で、自宅の庭を手入れしていたり、家の駐車場で車の洗浄をしている人がマスクをしているのを見ると、「東京なら必要かもしれないけれど、岐阜で必要なの?」と思わざるを得ません。

まあ、話をする時は必要なので、急にご近所さんに声をかけられてもよいように、ぐらいの必要性でしょうか。