昨日夜、母から電話が・・・。
「リビングの電球が切れた!」
家は近いので行ってみると、リビングのシーリングライトが点灯せず、豆電球だけが点灯している。でも、この状況からして、何が起きたかは分かった。
シーリングライトのスイッチを、ダブルクリックをするようにカチカチ、カチカチと切り替えると、はたしてシーリングライトの照明の状態が変わった。
思ったほどうまくコントロール出来なかったが、カチカチやると状況が変わり、最終的には蛍光灯がちゃんと明るく付く状態になった。
パナソニックの製品だと思うが(他社製品はよくわからないが)、点灯スイッチをカチカチとダブルクリックすると、「全点灯」⇒「少しくらい」⇒「豆電球」と切り替わる機能がある。
知らないと「何か少し暗くない?」という状態でずっと使い続けたり、母のように豆電球しか点かないようにしてしまう。
しかし、これって余分な機能ではない? 昔のようにひもを引っ張って照明を切り替えるものがないので仕方がないのかもしれないが、知らないと絶対に分からない「照明切り替え機能」だ。
特に高齢の人など、知らない人が多いのではないだろうか?そして、私の母のように、意識せずやってしまい「点かなくなった!」と電気店を呼びつけることが、全国で発生しているのではないだろうか。
そのような、余分な機能で困ったことは、デジカメでもあった。旅行に行った母が帰ってきて、デジカメ写真を見たら、みんなセピア色になってしまっていた。
セピア色になれば、LCD画面で分かりそうな物だが、そんなに目も良くなくて、明るいところだと画面が見にくいこともあり、母には分からなかったようだ。本当はきれいな色なはずの景色や鳥の色が、全部セピア色になってしまっていて、「そんな機能、デジカメで何のためにいるの?」と思わずにはいられなかった。
こういう余計な機能は、AI技術を使えば正しく使えるようになるのか? でも、お節介な人や余計なお世話を焼きたがる人によるトホホな出来事はごまんとあるように、AI技術が進んでも、それが結局「お節介で余計なお世話」になることは無くならないなくならないような気がする。
機能が高度になればなるほど、余計なお節介が邪魔をする、というのは、これから技術が高度になっても、いつまでも残るような、不合理な人間の性のように思う。