でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

熱中するのと依存症は何が違うのだろう?

最近、Facebook の投稿で「みんなの空想地図」というのがあるのを知りました。

空想で地図を作っていたものを本にしたのだそうですが、そういえば、私も子どもの頃に空想の地図を作っていました。

適当な紙に地図の記号を元に道を作ったり鉄道を走らせたり、バス停や駅をどこに作るかとか、鉄道をどのように張り巡らせるか、どこに町があってどんな名前にするのか、延々とやっていたように思います。

同じように人生ゲームみたいなゲームを自分で作ったりもしていました。方眼紙に細かく書いて、何回も作り直していました。もちろん作るだけではなく自分で駒を用意して遊ぶのですが、結局は作るのが楽しくてやっていたように思います。

いずれも、他の人に見せたり、姉妹含め一緒に遊んだことはあまりなかったと思います。人生ゲームはもしかしたらどこかに残っているかも。

ふと思ったのは、その頃あんなに熱中していたのに、「依存症」というものではなかった。でも、テレビゲームやスマホに対しては最近、子どもの「依存症」というのが問題になっている。

何が違うのだろう?

空想地図・手作り人生ゲーム、いずれも自分が何かを手や口や足から出さないと何も起きないのに、ゲームやスマホはあちらから働きかけてくるからだろうか?

ではパチンコの依存症は?アルコールは依存症は?と考えると、熱中と依存症の違いはなんとなくぼんやり思い浮かぶようでいて、明確に説明できない。

でも、このあたり、もっとしっかり研究した方が良いのではないか? 今になってゲームやスマホの依存症が問題になっているが、そんなのは昔からあったように思う。逆に、依存症を熱中に転化できれば、個人の能力を最大限に発揮する、などありえるかもしれない。

ところが、ゲームへののめり込みや依存について調べようとすると、どこからともなく「ゲーム脳などありえない!」と声だかに叫ぶ人が現れて、せっかくの研究がつぶされていった時代があるように思える。

しかし、結局は「依存症」というのを無視できなくなってきたのが今の現状だろう。もっと早く研究や解明が進んでいれば良かったのに。というか、パチンコ・アルコール依存は、他の病気に比べてちゃんと研究されているのだろうか?もちろんされていないとは思っているが、成人病やがんと比べて規模はどうだろう?

あんなに熱中していた空想地図や人生ゲームは、いつから興味がなくなり、いつやめたのだろう? おそらく、中学生になって、電子技術に興味が出てきた頃ではないだろうか? その頃はまたそれにすごい夢中になったが、きちんと勉強できなかった(子どもに分かりやすいものはなかった)ように思う。

社会人になって改めて勉強したが、子どもの時に良い指導者に巡り会えていれば良かったのか、そうではなく、いろいろな勉強を行って来た今の方がよいのか、その答えはおそらく出ないだろう。