でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

なんとなく平成の回顧

平成最後の日、ということで、なんとなく平成の回顧です。

平成の始まり、ではないですが、平成前後の思い出と言えば、昭和63年、昭和天皇の病状が思わしくない12月、香港に旅行に行ったときのことです。

たまたまレストランで一緒になった旅行者と話していると「昭和天皇、お亡くなりになったそうですよ」と真顔で言われました。旅行中で新聞など見ないし、テレビも日本の物は見られないし、ネットなどなかった時代、「そうかー、日本に帰ると大騒ぎかもね」と思いながら帰国すると、全くの間違いでした。

いかに、人の噂がデタラメか、思い知ったのは、後にネットの情報を鵜呑みにしない姿勢につながったかも知れません。

ベルリンの壁の崩壊をリアルタイムでTVで見て(あ、昭和かも)、湾岸戦争の開始をTVで知り(これは平成かな?)、アメリカの世界制覇を実感した時代でした。その軸を中心に安定した世界が訪れるかと思ったものの、同時多発テロアメリカの極端なイスラエル寄り、その後の世界同質化に対する反発などを見ていると、明らかに自分の予想とは別の軸になった、という平成でした。

個人的には社会人としての人生がほとんど平成、でした。電気電子・ソフトウェア技術者として働きました。日本の技術が世界を席巻する時代から始まり、技術トレンドの変革をいろいろ体験し、次第に日本から技術の優位性が失われて行くのを目の当たりにしました。

過去には独創的な経営者が多数輩出し、技術革新の決断やスピードを上げて進めていたものが、次第に官僚的な組織ばかりになり、次の革新にはついて行けない。いつの間にかアメリカやヨーロッパの技術ばかりになり、得意だったマネして改善する技術も韓国や中国に太刀打ちできない分野が増えました。

自由に、好きに、大胆にやりたくても、過去のしがらみや、巨大な福祉に金を取られて出来ない、という状況がもうだいぶ前からあきらめとともに共有されてしまっています。

そんな中で、個人の優秀さは明治時代(江戸時代?)から続く日本の伝統ですが、そこは今はどうなのでしょうか?

などと書いていたら、暗い話の方が多くなってしまいましたね。

個人的には、平成の初めは自己研鑽で大いに勉強し仕事し、最近はその頃ではないですが機械学習やらAIやら改めてのプログラミングやらに取り組んでいます。令和という元号に変わる、だからといって飛躍的に何か変わるような気分に惑わされず、やるべきことをやっていこうと思います。