でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

当たり前とすごく良いとの差の大きさ

今年中日新聞で読んだ記事で、強く印象に残った物がある。

だいぶ前に歌人俵万智さんが書いていた記事だ。憲法に関する物だったので、憲法記念日前後だったかもしれない。

日本国憲法を若い頃初めて読んだときは「なんでこんな当たり前のことが書いてあるのだろう」と思ったのに、今娘に初めて読ませると「すごく良いことが書いてある」と言ったのだという。

その「差」が実は、戦後昭和を歩んだ世代と、平成以降の若い世代の感覚の差の最も大きな所かもしれない。

記事では、娘さん自身がそれ以上自分の気持ちを解説してはいなかったと思うが、当たり前だったものが、理想となり、当たり前ではなくなりつつあるのでは、という危惧を書いた物だった。

前の世代では当たり前だった良いことが、今では当たり前ではなく理想になりつつあるものは他にもたくさんあるのではないだろうか? 家族制度しかり、終身雇用しかり、年金制度しかり、安全に関しても、原発はもう仕方なく使う物になり、一般の人が巻き込まれる犯罪は増えている(実際は長期に見ると減っているのだが)。

もう一つ印象に残ったのが最近、中日新聞の主幹の人が書いた物だったと思う。社会福祉の縮小や原発の後始末などいろいろ若い世代に押しつけている中で、さらに軍事的負担まで押しつけて良いのか?ということが書いてあった。

当たり前だった憲法を現実と合わない感覚にしてしまい、各種問題はどんどん先送りにされ、負担は増える、という状況に対し、若い人からもっと怒りが出ても当然だろう(人ごとのように言ってしまったが・・・)。

SEALDs はそれとは関係ないかもしれないが、ああいう若い人中心の動きがもっと出てくるとよい、と思っています。