今日の帰り際、ホームに滑り込んできた電車は、運転手さんが女性でした。
思えばJRでお客さんに応対するところでも、ずいぶんと女性が増えてきました。普段気付くのは車掌さんのアナウンスですが、半分弱は女性でしょうか?。運転手さんはしゃべらないのでよく分かりませんが、すでに女性が大勢携わっているのかもしれません。
その列車は進行方向右側は前が見えるので、立ってみました。列車が動き出すと、線路の分岐がくっついたり離れたり、慌ただしく流れていきます。信号がいくつも見えるのですが、道路信号と違って今ひとつ意味合いがよく分かりません。
順調に走ってきたものの、あるとき急に速度を落として流すような速度に変わりました。でもその「きっかけ」の信号が分かりません。何を元に変わったのでしょうか?
もちろん今の時代だから、調べれば答えも見つかるのでしょう。しかしもし、このまま線路を見ていて、それに気付けば「すごいよねぇ」と思いながら見ていました。
調べて「知る」ということと、自分で「気付く」と言うことの間には大きな差があるような気がします。いくら情報時代になったと言っても、自分にとって嬉しいのは「気付く」事でしょう。もちろん、年に数回しかないような、このわずかな時間に、自分がJRの信号システムについて「気付く」ことはないのかも知れません。
でも、その「可能性」をわざわざつぶす必要もないように思います。いつの日か、列車の一番前に立って「あ、こういう事だったのか!」と気付く日が来るのかどうか、それは誰にも分かりませんが。
そんな事を思いながら、線路の流れを真剣に眺めていました。