でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

こっちの方が大切そう

フィリピン出張中、ホテルから工場までの間はレンタカーで移動する。結構な時間がかかるしいろいろな町を通るものだから、休みの日に本屋に行き地図を買った。だいたい目安を付けて「これかな?」と買ったのだが、工場の方は良く分からない。

それでも住所から行くとこの地図のどこかにありそうなのだ・・・と眺めていたが、地図も大ざっぱだし行政区画の線引きも曖昧に見える。高速道路を降りた後の道路がこうなっていて、先がこうなっていて、地名的にはこんな名前だったかな、この辺だと思うのだけれど、といろいろ推測しながら眺めていると、ついに該当の場所を見つけることが出来た。

「おー、やっとあったがや!」と嬉しかったのは言うまでもない。

しかし、よく考えると、iPpadを持っていれば検索で何の迷いもなく見つけられたかも知れない。PCだってそれは出来る。あちこち調べたくて、結局地図は5種類も買ってしまったのだが、それも必要無かったはずだ。

すぐ検索すればものの1分で分かってしまう。でも、自分で探して「見つけた!」という嬉しさが味わえるわけではない。検索すれば分かる情報を自分で求める事の無駄を唱える人もいる。でも、その「嬉しさ」や、「嬉しい」という体験や記憶が、実は大切なことなのではないか?

シチュエーションは大分違うが、フィリピンのテレビでタガログ語をボーッと眺めていたとき、空耳をいくつか見つけた。空耳そのものは忘れてしまったが、「あ、今○○みたいに聞こえた!」「お、この音は何回か聞いた!」という体験はいくつも残っている。

検索でたやすく分かる情報や、意味も通じない空耳など大して役に立つわけではない。でも、それを見つけて「嬉しい!」「面白い!」という体験が、実は貴重な、大切なものなのではないだろうか。

情報機器から取り残されつつあるおじさんの開き直りかも知れないが、フィリピンで「見つけた嬉しさ」の大切さを再認識したような気がする。