でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

卑怯か卑怯でないか?

日経新聞関係の日経BP社が運営している、ネット上のビジネス情報サイトがある。いろいろな記事やコラムが掲載されているのでよく読んでいるのだが、その中に、「ソーシャルメディア炎上事件簿」というのがあった。

twitterやブログにうっかり書いた事で炎上した事例を扱ったものなのだが、未成年なのに「酒を飲んだ」「タバコを吸った」とか、「カンニングしてうまくいった」という事をうっかり(あるいは自慢げに)書いて炎上した事例を扱っていた。

記事の内容が「その書き込みは本当にアップしても大丈夫ですか?」という口調で書かれていて、ある意味「悪いことをしても黙っていれば問題ない」とも読み取れる。コラムには一般読者がコメントを書けるようになっていたので、案の定「そもそも元の行為を非難すべきである」「ばれなければよい、とそそのかすような記事だ」というコメントが多数寄せられた。

ところがその中に、「未成年の飲酒や喫煙など、実際その場に居合わせても見て見ぬふりをする人が多いのに、ネットで分かると個人情報まで暴いて執拗に攻撃する。卑怯ではないか。」というコメントがあった。

多数ある「そもそも」コメントに比べ、私の心に深く残った。

匿名だから卑怯になっていないか?。実名や面と向かって出来ないことをネットや投票といった「匿名」の場でやっていないだろうか?

これが正義だったらまだよいのかも知れない。「未成年の飲酒」はいけないことだからそれを匿名で非難しても、許せる範囲だろう(非難の度が過ぎてはいけないが)。でも、正義ではないことだったら?。例えば「移民を排斥しよう」とか「○○には(法に基づく以上の)厳罰を与えよ」などという主張を、面と向かっては言わないのに、声高に言う人を支持したり投票したりすることは、どうなのだろうか?。

卑怯か卑怯ではないのか、物事を判断するときに、そんな「基準」ですべき時もあるのではないだろうか?。肝に銘じておきたいものだ。

(とはいえ未成年の飲酒の場に居合わせても注意できるようにはならないだろうなぁ)