でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

金環日食

今朝の岐阜市はピカピカで雲一つない快晴。日食観測にはもってこいの日でした。出勤を遅らせてまで見ようとしたかいがありました。

起きた時にはもう一部欠け始めていて、朝の準備をしながら時々外に行って見ます。木漏れ日の影ももちろんチェック。次第に三日月型になっていく木漏れ日をちゃんと確認できました。

岐阜では月が太陽の下の方を通っていましたが、計算上はちゃんとリングになるはずです。ただ、安物の日食メガネで見る限りはよく分からずじまい。視力も落ちてきたか・・・。

金環日食では空が暗くならない、と聞いていました。確かに「暗く」までは行かないですが、日差しがかなり柔らかくなり、家の中は暗くなりました。

一応写真にも撮りました。安物デジカメに日食メガネを被せてそれらしく取れましたが、大した写真ではない。もう今日は遅いので掲載はやめておきます。

出勤の電車でふと思い出したのが、昔、小学生の時に買ってもらった宇宙の図鑑のことです。中に日食の話が書いてあり、日本で見られる日食がかなり先の年月日で出ていたことです。そこの予定に今回の物が入っていたかも・・・。

その時「大人になるまで生きていれば見られるかも」と考えたように思います。何しろ子どもにとっては「未来永劫の先」のような年月日でしたから。

図鑑を見た頃、「もしかして日食を見るかも知れない未来の自分」がどんな風か、想像できただろうか? いまその「未来の自分」がこんな風になっていることを考えると、こそばゆいような、恥ずかしいような、なぜか申し訳ないような気がしてきました。

子どもの頃は好きなように思い描くことが出来た日食までの日々を、今の私が固定してしまったせいかもしれません。