でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

「全然」の使い方

通勤の行き帰りは電車に乗っている時間が往復で1時間半以上はあるから、本をよく読んでいる(最近の行きは寝てますが (^^; )。読む種類はいろいろだが、この前古本屋で買ったスティーブン・キングの「スタンド・バイ・ミー」を読んでいた。

これを買った理由は映画の「スタンド・バイ・ミー」を劇場で見たことがあったからだが、ハヤカワ文庫を読んでみるとなんか非常に読みづらい。原作そのものが読みにくいのか訳が悪いのかは、他にキング作品を読んだことがないので見当がつかなかった。

何とか読み切ったが、「こりゃかなわん」ということで、次は日本の作家を読もうと思った。本棚をあさったら同じく古本屋で買った芥川竜之介の「羅生門・鼻・芋粥・偸盗」があったので、それを読むことにした。読んでみると非常に読みやすい。

で、読んでいるうちに気づいたことがある。「全然」という言葉の使い方だ。普通、「全然」という言葉の正しい使い方は、その後に否定的な用法が来る、ということになっている。「全然無い」「全然出来ない」などである。しかし、最近は肯定的な言葉の前に使う人が増えて来ている。「全然すてき。」「全然大丈夫。」などだ(「全然たあちゃんふう」ではない←内輪ネタ)。

勤務先の若い人も結構使っていて、当初は違和感がすごくあった。最近やっと慣れてきたなぁ、と思っていたのだが、「羅生門」の中にそういった用例が出てきたのだ。「下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると言うことを意識した」というところだ。

他の場所にも出てくるし、従来正しいと言われていた使い方も出てくる。縛られずに言葉を自由に使っているようにも思う。

結局、「芥川竜之介が使っているのなら、そういう使い方も有りなんだろう」と納得してしまった。まあそれは、言葉は自由だ!なんてかっこいいことを言ったとしても、「権威主義的」なんでしょうなぁ。

ところで、「羅生門」って教科書によく使われる文章だが、そこの「全然」はどう扱われているのだろうか・・・。