でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

SDGsで疑問に思うたった1つのこと

SDGs、いろいろな所で話題になり、多くの人が自分の事として考えるようになりました。自分もその思想や発想や、世界的に考えようよ、という流れには乗りたいし、大切だと思います。

しかし、1つだけ、疑問に思うことがあります。そんなに勉強しているわけでもなく、あれこれ調べた結果でもなく、考え抜いたわけでもなく、「これってどうなのだろう?」と気づいたら気になっている、という程度のことです。

SDGs、いろいろな課題やテーマで、それぞれの人が考えることになっています。しかし、個人の考えることなど狭い範囲でしかなく、ある意味「私の考えるSDGs!」と活動しても、全世界的ではない、部分的なものにしかなりません。

ということは、SDGsでは「部分最適」が大量に発生している、ということではないのでしょうか?

部分最適が悪いのかどうか、それは私には分かりません。しかし、ありとあらゆることが「ある人にとっては良いことでも、他の人にとっては悪いこと」という面を持つのではないのか、と考えると話は別です。

出船の順風は入り船の逆風・売り手の損は買い手の得・一得一失・一長一短。あることを良いと思ってやっても、それで不利益を被る人がいるのではないか?

環境に悪影響を与える経済活動を辞めさせても、それで食べていた人は飢えてしまいます。ならば、新たな仕事を与えてそれを普及させる、というのは、元の「環境に悪影響を与える経済活動」を凌駕する範疇でのメタな解決策です。でも、それもまたある意味、限られた範囲の活動で、それで不利益を被る人がいるはずです。それを解決するには、さらに全体を見据えた解決策が必要・・・。

と考えていくと、もっと全世界的な視点で(考えるだけではダメで)実際の行動をしないとダメなのではないか? しかしそこでいろいろな制限に突き当たってしまいます。

まず地球は1つしかなく、その範囲を超えて考えることは(科学技術や将来の夢を語ることでは大切ですが)、直近の問題に対しては有効ではありません。そうなると地球の中でプラスマイナスを調整するしかなくなります。また、そのような全世界的な視点でものごとを考えたり受け入れたり(受け入れるというのはガマンするという意味ですが)する思想や宗教・社会・経済・科学は未だに人類は持ち得ていないと思います。

そういう視点に気づいて考えて見ると、結局は自由主義経済圏の、各自が好き勝手に活動すれば「見えざる手」が全体の利益になる望ましい状態を作ってくれるはずだ、という、過去にも何度も現れて、挫折、とまで言えなくても、全世界的な課題解決には至っていない楽観的な考え方の仲間なのかなぁ、と思います。

メタな解決ではなく活動が伝わっていくように考えてみるとします。ある人がSDGsを考えて行動を変えると、それで不利益を被る人が必ずいます。その人が自力で何かを変えて行動したら、それでまた不利益を被る人がいる。そういう連鎖が伝わっていった先が、最初の人に繋がるような循環になれば良いのかも知れません。しかし、私には、どんどん「弱い立場」の人たちに伝わっていって、一番弱い人が不利益を被りながら自力ではなんとも出来なくてもがいているようなことになるように思います・・・。

勉強していないので、私の疑問についても実はいくらでも答えがあるのかも知れませんが、「入り船の順風は出船の逆風」を打ち破るのはそう簡単ではないなぁ、そこに何か具体的な方策は、SDGsは検討しているのだろうか、ということを最近考えています。