テロを知ったのは、夜、インターネットでチャットをしていて、その話の中でチャット相手が
「芝生に寝転んで見上げた、あのビルも無くなっちゃったんだね」
と書いた時でした。
ニュースを見ていなかった私はそこで初めて知ったのでした。
この日が来るといつも思い出すのは、そういう危機やリスクに対して、自分がいかに鈍感だったのか、ということです。実は、その日(日本時間)の朝、母がアメリカ西海岸に旅行に行く、というので駅まで車で送っていたのです。
しかし、ニュースを見ても、今まさに航空機でアメリカに向かいつつある母の危険については少しも気づきませんでした。
気づいたのは翌朝未明。
「やばいんじゃない!」
インターネットで調べることができたので、旅行計画書を元に航空機を検索したら、該当の飛行機は、カナダのバンクーバに行き先を変更して、無事到着していました。
私の姉とも連絡を取り、母の飛行機は無事、バンクーバに到着したようだ、という話をしました。
母はバンクーバに滞在し、ツアーなのでツアーコンダクターの人がいろいろ手配をしてホテルには滞在できましたが、もちろん観光はなし。いつ帰りの飛行機が飛ぶか分からないため、日中は空港で待機し、夜はホテルに戻る、ということを数日繰り返してから、無事帰国しました。
9.11の翌日、空港で無料で入手できたカナダの新聞を、土産に持って来ていました。同時多発テロ後のまさに最初の新聞です。既にアルカイダのビンラディンの写真も大々的に掲載されていました。
あのときと比べると、年齢を重ねただけいろいろな経験を積み、リスクに対してもその時よりは敏感になったかも知れません。でも、まだやはり、政治的暴力による被害というのは、想定できないというか、実感を感じることはありません。
今は環境リスクなど、バラ色ではない未来も予想されていますが、もっと敏感にならないと、今日の平和を維持するのに何もしないのではダメだというのを、感じないといけないですね。
あれから20年だそうです。ニュースを見て思ったことを書いてみました。