でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

マッチポンプだよなぁ

最近、自分が今ひとつ気力が弱くなっている原因の一つに、ネットニュースがある。

休みの日に、Yahoo ニュースとか、ITMediaニュースとかFacebook とかいろいろ見てしまう。見て何か良くなるかというと、何も良くならないし、自分にとって価値があるとも思えない。

が、なんか見てしまう。で、見た後で考えると、何というか、自分の意識や感覚と違うところから出発している記事が多いような気がする。

フィギュアスケートの選手で、芸能界で有名な人がいて、「なぜ彼女が(成績が良くなくても)もてはやされるのか?」みたいな記事がある。その選手はもちろん知っているが、自分の認識ではスポーツ記事で見たことなど全然ない。「いつどこでもてはやされているのだろう?」という疑問が解明できないまま「もてはやされるのはこうこうこういう理由だろう」という記事を読んでも、前提がまったく理解できないから完全なフィクションを読んでいるようだ。

コロナ関係だとそういう記事がいっぱいある。「○○はメディアに影響力がないからたたかれて、○○はCMをいっぱい出しているから何も言われない」と言われてもね。その前提、自分には判断できないから、理解できない前提で話を進めているようにしか思わない。

論理学では、「矛盾した前提からは何でも導き出せる」というのがある。数学でも同じである。最もわかりやすい例は、

「君がテストで100点を取れば、明日は雪が降る!」

まあちゃんとした論理学や数学のことばではないのだが、「君がテストで100点を取るのはあり得ないこと」を前提に話をすれば、ありとあらゆる「あり得ないことが起きるなら、ありえないことが起きる」ということが導き出されてしまう。

なんか、そういうように見えて、読んでいて疲れるのだよね。さらに読み解くと、「自分の言いたいことを補強するために、前提を操作している」ように見えて、つまり「マッチポンプ」にしか見えない。

疲れるなら読まなきゃ良いじゃない。

いやホント。そう思いますが、それがすぐには出来なかったりします。ネット依存症になっているのかも知れませんね。