でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

断捨離・・・出来ません

今日は午前午後と、古い荷物の整理整頓をしていました。

もらい物のとっくりや陶器がありましたが、一番多いのは私の父が昔集めていた日本の各地民芸品です。父はだいぶ昔に亡くなったので、その前に集めていたもの、ということで、50年も昔のものがたくさんあります。

それを一つ一つ、棚卸ししていきます。そんなに細かくは撮りませんが、分かるようには写真を撮ってから新しい箱に入れます。数十個出てきたでしょうか?

父はこういった民芸品を集めるのが趣味で、営業マンであちこち出かけたのでそのついでに買ってきたものや、集めているのを知った知人や親戚が送ってきたものもあります。「何年何月誰それから」と書いてあるものは、もらい物で、何も書いてないものはおそらく父が自ら買ったのでしょう。

今日の整頓とは別に、客間に民芸品をびっしり並べた棚があります。そこは自分も子供の頃からよく見ているので、どういうものがあるかは結構分かります。で、今日見ていた民芸品の中には、飾られているのとよく似たものが結構あります。おそらく、重複しているので飾らずしまっていたものもあるのでしょう。

妻と一緒に整頓していますが「いるのこれ?本当に?」と言ってきます。妻にとっては何も縁が無いものばかりなので、未練がありません。しかし自分にとっては、父親の思いがこもっていますし、今となっては貴重なものもありそうで、おいそれとは捨てられません。

でも、さすがにどうでも良さそうなものは捨てました。どこにでもありそうなコマとか、顔が汚れただるまとか、ハワイ土産の木彫りフォーク・スプーン(しかも二組も!)などは捨てました。

そういえば、自分が小学校の修学旅行で買ってきた、法隆寺土産の托鉢僧の人形がありました。懐かしいなあと思って見ていましたが、一部割れて接着剤でくっつけてあったので、捨てました。

こんまりさんの本を読んでいる妻は「見て心ときめく?」などと冗談交じりで話してきますが、ときめくかと言われるとそんなには感じません。しかし、これ全部リスト化してまとめたいなぁ、という思いは強くあります。

私が死んだ後に子供たちが引き継ぐかというと、そうは全然思えないけれど、なんか残しておきたくて、ついつい新しい箱に詰めてしまいます。どうも私には断捨離というのは出来なさそうです。