でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

東北震災を語り部の方と巡る旅

二日目は仙台から出る、東北震災を語り部の方と巡る旅、に出かけました。最も、震災の跡を巡るだけではなく、今年新たに開設された「南三陸さんさん商店街」に寄ることもコースに含まれています。

仙台から出たバスのガイドさんももちろん地元の人で、津波被害を受けた訳ではないですが、震災時やその後の様子、地元の助け合いの動きや、しばらく経ってから訪れた津波被災地の様子などをいろいろ話して下さいました。

そうこうしているうちに「さんさん商店街」に到着です。

名物として売り出し話題になっている「キラキラ丼」はもちろん、海鮮系料理や地元の土産物もいっぱい売っています。

観光客相手なだけではなく、文具店や理容店など地元の人のための店もいくつかありました。

お昼はここで食べることになっていたため、もちろんキラキラ丼のお店に入りました。ただ、メニューを見ると、キラキラ丼もおいしそうですが、他のメニューもおいしそう、ということで、妻がキラキラ丼

私が海宝丼

を食べました。海の幸がどっさりと乗っていて、なかなかおいしいです。やっぱり海が近いところは良いなぁ(岐阜は山の幸はうまいが・・・)。

しばらく買い物をしたりした後、いよいよ語り部さんが一緒にバスに乗り、地域を回るツアーの開始です。南三陸町と言えば、三階建ての屋上を越える津波に見舞われ、大勢の方が亡くなった防災庁舎があります。鉄骨だけになった庁舎を残すか残さないか、でニュースになりましたが、その議論は継続することになり、とりあえず残すことになっていると思います。

しかし、実はさんさん商店街のすぐ裏にその建物はありました。残念ながら工事中で近づけませんでしたが、少し離れた献花所から眺めて手を合わせました。

そして驚いたというか、当然の動きなのでしょうが、その防災庁舎の付近には土盛りをした高台がいくつかあり、いずれも庁舎を越えるような高さだったことです。当然ながら、今回の津波の高さ以上の高台でなければならないので、防災庁舎が妙に低地に立つ建物のようにも見えるほどです。

これだけ高台を作ろうとするからには、そうなった理由として庁舎を残す必要はあるように思います。高くて不便、ではなく、高さの必然性を如実に示すにはあったほうが良いのでは・・・。

その後、語り部さんと共にバスで南三陸の町を回ります。ずいぶん高い高台と思うところに行っても、建物の2階すれすれに「最高津波深」のマークがある。想像を絶する津波の威力です。こんな高いところで亡くなった人がいる、というのも全く恐ろしいものです。

その語り部さんとは南三陸町で別れ、バスは気仙沼に向かいました。途中、別の語り部さんが合流し、まずは美術館にある、津波写真や遺物の展示を見ました。

その後またバスに乗り、市内をいろいろ回ります。がれきなどはとっくの昔に片付いていて、何も案内がなければ「妙に工事が多い町だな」と思うだけですが、「工事現場はすべて街だったのですよ。」「空き地や駐車場が多いですが、びっしりと建物が立っていたのですよ。」という説明を受ければ、津波が町を丸ごとかっさらっていった美術館の写真が頭に浮かび、その壮絶さが少しは感じられます。

最後は、気仙沼の海の市でお買い物ですが、その建物にも津波浸水深の表示が・・・。

気仙沼の地形は南三陸より広いので、津波の高さとしてはまだ低いのかも知れませんが、んー、6mはありそう。高い建物だから2階の床ぐらいだけれど、普通の家だと2回天井ぐらいまでありますよね・・・。

ここで語り部さんと別れ、終点の一関までバスで向かいました。ガイドさんも自分のいろいろな経験を始終話してくれたり、2人の語り部さんの話も驚く話しばかりで、良い経験でした。次は東南海大震災の到来が予想されています。岐阜は津波が来る心配はないのですが、避難の話、社会インフラが途絶えた話、そんな中で助け合った話などを聞くと、次に来るであろう震災を受ける私たちの社会は、東北大震災を教訓としてより適切な対応が出来るのか? 大いに考えさせられるし、対策をしていきたい、と考えさせられるツアーでした。