少し前に、車椅子の人が飛行機の搭乗で、エレベーターがなかったり、同行者が担いで搭乗するのを断られ、這いつくばって自分の腕で搭乗した、という事件があった。
あれこれとネットで反響を呼んだ事件だったが、その中に「航空機の事故が起きれば、障害があれば非難の妨げになる」という見解を示した人がいた。だから、障害者の搭乗について、準備がなければ拒否されても仕方がない、という論点だった。
ああ、やっぱりそうなんだ。それが当たり前か。
私の姉が障害者で、車椅子を使わないと外出できない。今回のケースだったら、絶対に搭乗できないだろう。くだんの方は腕が強くて手で這い上がったそうだが、私の姉には不可能だ。
もちろん事故があれば、避難の妨げになりかねない。
それに対して、そんな時まで「障害者の尊厳・人権はどうなのだ!」というつもりは無い。思うのは「そのような事態にならないように社会を動かさなければならない」ということである。
ただし、事故は仕方がない。場合によっては障害者が後回しになるのやむを得ないだろう。ちょっと違うが「トリアージ」という考えもある。もちろん事故を起きにくくするための活動ならどんどん進るべきなのだが。
絶対に避けなければならないのは、戦争や社会不安により、障害者の人権や尊厳がないがしろにされる事だ。事故と違い、それは人間が引き起こすことである。ならば人間が防ぐこともできるはずだ。
事故や災害であっても、障害者を無事に避難させたケースもある。海外ならいろいろな事例があるのではないか?
障害者がいきいきと生きていける社会。どこかのボランティア団体のスローガンのようだが、そうではない社会はおそらくひどくギスギスして希望が薄い社会だろう。
そのような社会はゴメンだ、としっかりと書いておきたい。