でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

加納まちづくり会の講演会2015に行って来ました。

加納まちづくり会は毎年総会の後に会員以外も参加出来る講演会を開催してくれます。今年度は今日でしたので、講演会を聞いてきました。

講師は、元岐阜市歴史博物館の館長だった方で、内容は、岐阜市加納と、同じく岐阜市の鏡島との繋がりについてです。ついでに江戸時代の町と村の違いについての話しもありました。

長良川下流から遡ったときに、岐阜や加納との交易のための湊が鏡島にあり、加納藩の湊だった、というのが繋がりのベースにあるのだそうです。

ただ、そのうち長良川の流れが変わって更に上流までさかのぼれるようになったり、交易を独占してきた鏡島湊に対抗して他の湊を使う動きがあったりなど、尾張藩であった岐阜と加納藩の確執や、幕府の動きなどあり、競争したり協力したり、の間柄だったようです。

余談として、江戸時代の「士農工商」の解釈は最近変わり、「士」は武士だが「農工商」はそういう職業がある、ぐらいの意味で、身分の上下を意味する言葉ではない、となっている。また「百姓」は「村に住む人の総称」であり、農民という意味ではない事が分かってきたそうだ。

へー。そうなんだ。

加納は藩の中心だったり宿場町だったこともあり、歴史的な逸話や動きは多いですね。本当は「加納町史」が欲しいですが、アマゾンで探せばあるかな?