でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

シリアのTシャツ

夏になるとついついTシャツに短パンスタイルになってしまうが、盆だから親戚と会うとなるとそうとも言ってられない。とはいえやはり暑いからカジュアルスタイルになるのだが、ズボンは長い物をはいた。その茶色のズボンに似合うTシャツは、私の持つ物の中では1枚しかない。黄色い、母が昔シリア旅行で買ってきてくれたものである。

古代から近世にかけての観光地はシリアにもいっぱいあるが、今は内戦でとても観光できる状況ではない。それどころか、断片的に伝わってくる話は実におぞましいものがある。

日本は太平洋戦争後は本格的な戦闘には巻き込まれていなくて、戦争中の悲惨な話を内外で聞いても、ある意味「過去の話。現在は起きようがない」と思ってしまいがちだが、シリアの話や、バルカン半島の混乱、アフリカの内戦の話はまさに少し前や、今起きている話である。

スマホやPCでネットにアクセスするのが当たり前な「現代社会」にいながら、戦争が始まれば、子どもを捕まえて見せしめにしたり、女性を生きた盾にしたりするような事が平気で行わているらしい。

いや、平気ではないのかも知れない。「勝つためには仕方がない」「我々もやりたくもないが、やらなければ殺される」と理屈を付け、どれほど残酷か知りながら、できるだけ見ない振りをしてやっているのだろう。

彼らのいた世界は、わずか半年前までは私たちの世界のように、車を乗り回し、電化製品に囲まれ、PCやスマホで毎日仲間達とやりとりできた世界だ。中東だから、兵器や軍事力は元から脇役としてあったのだろう。しかし今やそれが主役となり、その結果どんな世界が生まれたのだろうか?

太平洋戦争での内外の悲劇は私たちにとってまずは一番身近なものだが、もっと「今の戦争」に眼を向けなければならないと思う。戦争が近代化されスポーツのようになったかと言えば、そんなことは全然無い。昔話として聞く太平洋戦争の悲劇は、今現在シリアで起きている。