でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

不安の心理が利用されている

今日母と話していた時に、ふと「あんたが交通事故に遭って死んだら、なんてことを時々思うわぁ。そうなると本当に困ってまうで」という話になった。

まあ今更、老親に心配してもらう必要もないし、万が一の場合に困るのは親ではなくて妻や子供達なので、それなりのことはしているつもりでもある。しかし、親というものはいつまでも子どもを心配するものなのだなあ、と微笑ましくなったのだが、実はこれが危険なことなのかも知れない。

先日、振り込め詐欺がなぜ無くならないか、についての1つの説を書いた記事を読んだ。それは、こういった「普段心配していること」が「現実になった!」と親が思い込んでしまうからだ、という内容だった。

子どものことを心配して、「交通事故に遭いはしないか、仕事で窮地に追い込まれやしないか」と考える親は多いものだ。もちろん普段は、そんな心配と同時に「うちの子に限ってそんな事はあり得ない。それにもう大人だしちゃんとやるだろう」と考えて、何も言わないし指摘もしないのが当たり前である。

しかし、そう思った「不安感」は残る。そしておそらく、その不安感が心理的なものや感情的なものと結びついて、親の中に残るのだろう。感情や感覚として記憶されたものであるからして、もしかしたら理性ではコントロール出来ないかも知れない。

そして、それがある電話により急に呼び起こされたとしたら・・・。昔から不安に思っていた万が一の状況が子供達に起きた!と思い込んだら・・・。

その記事は全くもっともだと思った。うちの親も危なそうだ。