でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

親というものは

先日、遅く帰宅して風呂に入ろうとすると、水面に結構な泡が浮かんでいる。体を洗うときの石けんが入ってしまったとか、あまり丁寧に扱わなかったせいだろう。非常に腹が立ったが、仕方が無いので、シャワーだけにして、風呂は湯を抜いて、ざっと洗っておいた。

私の直前に入ったのは真ん中の娘だったので、「風呂に泡がいっぱい浮いていたぞ」と文句を言うと、「んー、風呂の湯なら私じゃない。だって今日はシャワーだけだったもの」という。本当だろうか? 「嘘だろう!」と言う理由もないので、納得がいかないがそのまま引っ込めてしまった。

子供が大きくなれば、このような場面はときどき出くわすかもしれない、とは思っていた。その極端な場合は子供が犯罪の容疑者になったときである。その時、私はどういう行動を取るべきか、それはときどき考えていた。

子どもが罪を認めて、それが明白なら私は被害者に深い謝罪をしなければならない。世間や警察が子どもを犯罪者扱いをしても、もし面会をして「お父さん、本当はやっていないだ。」と言われれば、どんなに苦しくても子どもを信じて、無罪に向けて活動することは出来るような気がする。

問題は、「本当はやったのに子どもが嘘をついているかも知れない」のと「本当はやっていないのに認めてしまった」場合だ。

前者が今回のケースかも知れないが、親としては子どもにだまされるべきなのだろう。後者はまだ経験が無い(と思う)が、先日、遠隔操作ウイルスで濡れ衣を着せられた人の親が「最も悲しいのは、親が息子の無実を疑ってしまったことです」とメッセージを出したケースはそれだ。

どちらも、その場になったら自分がどのような行動を取れるかは分からない。「何があっても、子どもを信じる」べきにも思う。しかし世間や警察が子どもが罪を犯したと強く主張してくれば、簡単では無い。過ちを犯しているのなら受け止めなければならないし、社会正義もないがしろには出来ない。

んー、「出くわすかもしれない」のでときどき考えるが、結論が出るはずも無い。親としての適切な行動?が取れるのかどうか、まったく自信は無い

とはいえ、そうなったときに「悩み考え難儀する」のが親なのかも。そういう時が来るかも、と覚悟しておくのが親のすべきことかもしれない。