でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

首里城

最終日はがんばって朝の海岸散策と、首里城ひめゆりの塔に行こう、ということになり、まずは子どもたちをたたき起こして朝の散策。いっぱいいたヤドカリを捕まえたり、貝殻を拾ったりして(娘が美術素材として使いたいそうだ)1時間以上散策。

その後車を飛ばして、那覇市内に戻り、首里城に行きました。

地図で確認せずに出かけたので、裏側の木曳門の方から入ってしまいましたが、緻密に積まれた石垣には目を見張りました。これは復元品なのかな?それとも昔からの物なのでしょうか?

進んでいくと、朱色の回廊で囲まれた首里城が近づいてきます。

奉神門から中の御庭に入ると、そこは周りと別世界。公の威厳を感じさせる御庭の真正面に見事な正殿が建っています。

色鮮やかな唐破風と屋根まで朱色の建物が、本土とはまるで違う美意識を感じさせてくれます。大屋根の左右に乗っているのは鴟尾や鯱ではなくて「龍」というのも初めて見ました。でも、龍も鯱も「水」に関係があるので、火災を防ぐお守りとして飾られている、という点では同じなのかも。

入館料を払えば中も見学できます。建物は復元されたものですが、その華やかさや清楚さは琉球王朝の栄華を思わせてくれます。中に一カ所、地下で発掘された昔の首里城石垣が見られるところもあります。

解説によれば、首里城には中国の影響、日本の影響、そして沖縄独自の様式が見られるそうです。まさに東西交通の要だったのでしょうね。

首里城の後は入り口側に降りていきます。少し降りたところは町並みが一望できるとともに、反対を向けばお城を仰ぎ見ることが出来ます。逆を通ってしまったのですが、正しく守礼門から入っていれば、次第に町を見下ろすようになるとともに、上のお城の一角が見えてくるわけです。王様の威厳を高める効果があったのではないでしょうか。

守礼門にたどり着くと、ここには一番大勢の観光客がいて、とても門を前に写真を撮る雰囲気では無かったので、門だけ取ってきました。

横には「園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)」というものがあります。門というより拝殿に当たる物で、沖縄戦で大破した物を復元したものだそうです。

これだけ大きな城を持っていたと言うことは、かって強い王権があったと言うことでしょう。明治初めに琉球王国が崩壊して日本が支配することになるのですが、それが沖縄にとって良かったのかどうか、考えるとちょっと複雑な気持ちになります。