でーれーすげーげー

岐阜県岐阜市に在住です。ブログ名は、岐阜市近辺の方言で、とても感嘆したときに発する言葉です。

統計の世界

大相撲が八百長問題で揺れている。

メールなど、具体的な証拠が挙がってきて、はっきりして良いと思う一方、技術屋としては「なんか違うんじゃない?」と思うことがある。

八百長に関して、力士の取組を統計的に分析して「八百長があるに違いない」という結論を出す動きもあるようだが、なんかそれって「どこかずれていない?」と思ってしまうのだ。

その統計的分析の詳細を調べもせずに書くのだが、統計で分かるのは、基本的には「この結果はバラツキの範囲内か、そうではないか?」だけだと思っている。

具体的に言えば、7勝7敗の力士が千秋楽で勝ち越す率が、もし7割あったとしよう。その7割が「偶然のバラツキの範囲内か、そうではないか?」を判定できるのが、統計学だ。

その判定の信頼性は、95%信頼できそう、99%信頼できそう(実際は逆の考え方で、「5%は間違える」「1%は間違える」となるのだが)という結果は、統計学で求めることが出来る。

で、もし、7勝7負の力士が勝ち越す確率が7割あったとしたら、おそらく「それは偶然のバラツキではない確率がとても高い」という結果が出ると思う。

でも、統計学が出せるのはそこまでだ。「偶然ではない」ということは「必然である」となる(論理学的に言えば、必ずしもそうではないが)。しかしその必然が「八百長である」と言うことは、統計学では決して言えない。

そりゃそうだ。7勝7負の力士は、千秋楽で勝ち越す為に死にものぐるいになるだろう。相手は8勝6敗以上で勝ち越しているか、6勝8敗以下で負け越している力士が多い。対戦相手との気合いが違えば、7勝7負の力士が勝つ確率は、八百長などなくても高くなるはずだ。

そういった要素を考慮してでも八百長か否かを判定するためには、統計以外の要素を加える必要がある。それが今回、メールという形で現れたのは、今のご時世らしいし、相撲の「八百長」という要素を取り除くために役だってくれるかも知れない。

八百長の排除は外から見た統計では絶対無理だ。当事者の覚悟に寄るしかない。とても大変なことは誰にでも分かっているが、それを実行するのは相撲界の人々である。奮起を期待したい。